BIKE to 橋の下世界音楽祭
虹が出た場所で市場を開く
日本の中世の絵巻物をよーく見ると、人なのか物の怪の類なのか、何やらよく分からんものが、物語の合間にちょくちょく描かれています。今より多分にマジカルで、”どうしようもないもの”に対する理解や諦めがあった時代。身寄りの無い人や障害者、犯罪者や夫や雇い主から逃げた人など、社会からドロップアウトした人は、街から離れた誰のものでも無い場所を転々とする事になります。そしてそこで、独自の文化を形成し、芸能やモノづくりなどの文化を生み出しました。
社会は、非人と呼ばれる彼らの事を身分外の身分として重宝し、彼ら自身もその生き方に誇りを持っています。いわゆる士農工商の人々と違い、土地に縛られる事の無い、職人や芸能民、遊女といった遍歴、遊行する人々は全国に独自のネットワークを持ち、時には権力と強く結びつきながら、社会全体に大きな影響を与えました。
このあたりの話はとても面白いので、優しく書かれた「日本の歴史をよみなおす」あたりをオススメします。
話を戻して、虹と市場について。
市場というのはとても面白い存在で、お金を媒体としてモノと人の縁を切る場所でした。街や村という閉じたコミュニティの内部では相互に助け合う関係でモノのやり取りが行えますが、他の街や村(外部の世界)とのやり取りには、生産したモノとの縁を切り、商品を一旦無主物に帰する必要があったのです。そのために、境界線上の誰にも支配されない自由で神聖な場所に持ち出す必要がありました。
そこに、先に挙げた、社会との縁を断ち切った非人達の役割と場所が重要になってきます。市場は色々な場所に立ちましたが、虹が出た場所というのもありました。虹が美しいという概念は最近のもので、どちらかというと不可解な自然現象であり、雨から晴れへの境目、橋や道のメタファー、男女の性的関係、あの世とこの世の境目などを感じさせるものでした。虹を瑞祥として開かれる市場では、モノの流通はもちろん、多彩な芸能や売買春や情報交換が自由に行われる場所でした。
中世以降は権力に取り込まれ、被差別部落化していく苦界や楽といった自由領域ですが、市場としての機能は切り離され、江戸の両国橋に代表される盛り場として賑わう様になっていきます。
さあ、長々と書いてみましたが、とにかく橋(だけでなく、道や辻、山や海といった無主のものは皆そうですが)という”あちら”と”こちら”をつなぐ場所には古今東西さまざまなものが吹き溜まり、エネルギーが渦巻く場所なのです。
そして今では小さくなってしまったその文化的遺伝子を揺さぶり起こすイベントが豊田市にある黒川紀章の強烈なデザインの橋の袂で行われるのです。
橋の下世界音楽祭
これに参加しないわけには行きません。個人的には同じく橋の下で開催される「錦糸町河内音頭」とタメを張る異界イベントだと想像しています。
今も昔も面白い事は常に辺境で起こります。一緒にライドしていきましょう! (SimWorks もんじゃ)
#BikeTo橋の下
5月29日(日曜日)朝9:30 出発
カルチャークラブスタート – アーリーバーズ経由 – 豊田大橋
★完全ノーサポートです(好き勝手にたどり着いて下さい。約30km)
大衆芸術音楽祭
「橋の下世界音楽祭 SOUL BEAT NIPPON 2016」
http://soulbeatasia.com/
2016年5月27日(金)、28日(土)、29日(日)
豊田大橋の下-千石公園
出演者一覧